オンラインギャラリーCERMÂで「act natural」という展覧会が開催されている。「インターネットで活動するアーティストと自然」という副題を掲げたこの展覧会は、過去にCERMÂで「what we call painting」という展示を手がけたManuel Rossner氏がキュレーションを行い、Rick Silva氏、Joe Hamilton氏、Kim Laughton氏が出品している。CERMÂを「オンラインギャラリー」と紹介したが、今回はパリのギャラリーGalerie Eva Meyerが場所を提供し、「Real-life opening」も同地で1月25日の18時から21時まで開かれた。このように書くと、Galerie Eva Meyerで展示が行われているように聞こえるかもしれない。だが、それはほとんど正しいが、少しだけ間違っている。CERMÂはオンライン上にGalerie Eva Meyerのリアル展示スペースをコピーした3D展示スペースをつくり、そこに上記3氏の作品を展示している。

■3つの作品:グリッド、滝、基盤

アメリカ・ポートランドで活動するRick Silva氏は、かつて印象派の画家が光を求めてアトリエの外に出たように、外にパソコンを持ち出しそこで3Dモデリングを行ったりしている。今回の作品《Grid》はカバの木を3Dモデリングしたものを整然と並べたものである。

並べられたカバの木はどれも同じ形をしている。「それらはひとつのオリジナルからコピーされたものである」と言いたくなるが、そもそもモデリングされたカバの木自体がリアルカバの木の「コピー」であるとも言える。また、最初にモデリングされたものを「オリジナル」だと考えても、デジタル技術は「オリジナル」を全く同じにコピー&ペーストしていくので、《Grid》を構成する複数のカバの木はすべて「オリジナル」だとも言える。

グリッド上に整然とモデリングされたカバの木を並べるSilva氏は、「⌘C+⌘V」という簡単な行為で完全なコピー&ペーストができるデジタル世界では、「コピー&ペースト」という行為はあるが「オリジナル」と「コピー」という概念はないと考えるのが自然だと示しているかのようである。

オーストラリア・メルボルンで活動するJoe Hamilton氏は、マルセル・デュシャンの遺作《(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ》をモチーフにした《Chute d’eau》を展示している。Hamilton氏はインターネットに溢れる画像を収集し、ひとつの大きな平面として繋ぎあわせた作品《Hyper Geography》で有名であるが、《Chute d’eau》もタイトルが示す「滝」の画像を含めた複数の画像で構成された横スクロールの作品となっている。

作品はGalerie Eva Meyerのホワイトキューブの壁を破壊したかのようなサイトスペシフィックなインスタレーションとしてギャラリー正面の壁面に展示されている。そして、作品の左側の壁に掛けられているディスプレイにも《Chute d’eau》が映し出されて正面に展示された作品と同期して動いているが、「ディスプレイの枠」のフレーミングによって「平面」的な映像作品になっており、立体的な感じを見る者に与える正面の作品とは異なった印象になっている。

また、右下にはデュシャンの《(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ》で扉の穴から覗き込んだときに見える作品の画像が置かれている。デュシャンの作品はレンガの壁に設置された扉に開けられた穴を覗き込む必要があるのだが、Hamilton氏はその壁と扉を「壊して」覗き込むことなく向こうの世界が見えるようにしているかのようである。

はたしてここでHamilton氏が「破壊」したのはギャラリーの壁なのか、デュシャンの遺作の扉がある壁なのだろうか、あるいは何も破壊していないのか。おそらく、Hamilton氏は何も破壊していないだろう。なぜなら、彼はネタバレのようにディスプレイに展示しているインターネットで集めた画像をコラージュした映像を、3DモデリングされたGalerie Eva Meyerの壁に嵌め込んだだけだからである。Hamilton氏はギャラリーもしくはデュシャンの遺作の壁を非破壊的に破壊して《Chute d’eau》を展示しているのである。

中国・上海で活動するKim Laughton氏の出品作品《Substrate》は、モデリングされた3D環境のなかに様々な花や草があり、その中心に白い台座が置かれている。その台座の上にはLenovo社のThinkPadと赤いティーポットが置かれており、バーチャルカメラがその台座を中心してGalerie Eva Meyerの展示室を一周している。ThinkPadのディスプレイには3Dモデリングソフトが立ち上がっており、そこにも私たちが見ているのと同じホワイトキューブのなかに草木が生え、中心にThinkPadと赤いティーポットが白い台座の上に置かれた映像が映し出されている。

《Substrate》の展示空間とThinkPadのディスプレイは入れ子状になっている。この展示会場そのものもGalerie Eva Meyerのコピーだったことを思い出すと、Galerie Eva Meyerのリアル展示空間も作品を見ている人の意識のなかでその入れ子関係に入り込んでくるだろう。さらには、《Substrate》を見ている人のパソコンのディプレイで展開される3D空間もその関係に結び付けられる。Kim Laughton氏は3Dモデリングした空間をバーチャルカメラで撮影することに自己言及性を取り入れて、Galerie Eva Meyerのリアル展示空間、《Substrate》の3D空間、ThinkPadのディスプレイの3D空間、見ている人のディスプレイの3D空間という4つの空間を関連付ける。しかし、「Substrate=(コンピュータの)基盤」があれば3D空間が生成されそこに作品《Substrate》が現れるが、パリにリアルに存在しているGalerie Eva Meyerには「Substrate」がないため3D空間はつくられない。そこには3D空間の基体となったリアル空間だけがある。

■LEDの太陽と自然な行為

展示のイントロダクションを書いた美術批評家のSabine Weier氏は、スモッグがひどい北京では太陽の光がほとんど地表に届かなくなってしまったため、巨大な「LEDの太陽」が設置されたという記事を展覧会全体を説明するために取り上げている。この記事は誤報だったのだが、世界中で多く人が信じてしまった。それはCGが精巧にできているかどうかという問題ではなく、「私たちの現在のマインドセットが、シミュレートされた太陽がスモッグを突き抜けない太陽と入れ替われることを喜んで信じようというものになっているからだ」 と、Weier氏は指摘する。スモッグのなかで燦然と輝くLEDの太陽は「リアル/シミュレーション」「アナログ/デジタル」「オフライン/オンライン」といった二項対立的な思考ではなく、それらのなかで実効性のある方をプラグマティックに選んでいくというマインドセットが私たちのなかに生まれつつあるということを示している。

私たちには「act natural=自然な行為」と言われると、アナログ的行為を思い浮かべるマインドセットがある。アナログとデジタルという区分け自体がもう陳腐になっており、そこには大した意味もなくなっているにもかかわらず、「自然」にはデジタルやオンラインは含まれない。だから、それらを「第2の自然」と言って「自然」と区別する。

しかし先に書いたように、アナログとデジタル、オフラインとオンラインの区別にはもはや意味がなくなりつつあるのだから、「自然な行為」はアナログとデジタルどちらも含んだ「自然な行為」であって、さらに言えば「どちらも含んだ」という言葉も必要ない。単に「自然な行為」なのである。展示のタイトル「act natural」はオンラインをメインに活動している作家に彼らが常日頃行っている「自然な行為」を自覚することを促したのかもしれない。「自然な行為」として意識されているデジタル、オンラインの行為は、それらをアナログ、オフラインとの対比のなかで意識している行為とは異なるものになっているのではないだろうか。

今回の展示はリアルギャラリーをコピーしたオンラインギャラリーに展示するという状況を設定することで、「コピー&ペースト」「非破壊的破壊」「3D空間をつくりバーチャルカメラで撮影する」といった行為を「自然な行為」として行っている作家たちに、各々の行為の意味・効果に意識を向けながら作品をつくることを要請したものだと考えられる。そこから見いだせるのは、Silva氏、Hamilton氏、Laughton氏それぞれが作品制作で行っている「自然な行為」への自己言及である。自己言及の結果として示されるのが、彼らの「自然な行為」がデジタルとアナログ、オンラインとオフラインを二項対立で捉えた先にあるのではなく、「LEDの太陽」のようにプラグマティックに「自然」という概念を変えていくマインドセットから導き出されているということなのである。

act natural
http://www.cerma.de/exhibitions/act-natural/overview/