東京・根岸の弥生美術館で2016年9月30日(金)〜12月25日(日)、「山岸凉子展『光 ─てらす─』 ─メタモルフォーゼの世界─」が開催された。 少女マンガ家として「日出処の天子」などのヒット作を持つ 山岸凉子(やまぎし りょうこ)は、1947年北海道生まれ。同年代の里中満智子が16歳(1964年)でデビューしたことに刺激を受けてマンガ家を目指したが、すぐには適わず、北海道女子短期大学美術科で日本画を習い、就職を経て、1969年『りぼんコミック』5月号に掲載された「レフト アンド ライト」でデビューを果たした。その後1971年の『りぼん』10月号から連載が開始されたバレエマンガ「アラベスク」の大ヒットにより人気マンガ家となり、1977年には『花とゆめ』で「妖精王」を連載。さらに1980年から『LaLa』で連載開始の、厩戸王子(聖徳太子)を主人公とした「日出処の天子」で第7回講談社漫画賞少女部門を受賞している。また2000年からは『ダ・ヴィンチ』にて、再びバレエ漫画に取り組んだ「テレプシコーラ -舞姫-」を連載し、同作は第11回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。現在もジャンヌ・ダルクを題材とした「レベレーション 啓示」を『モーニング』に連載中の第一線作家である。

 少女マンガでは昭和24年(1949年)生まれを中心として、1970年代の少女マンガの革新を担った女性マンガ家たちが”花の24年組”と呼ばれているが、山岸凉子もそれよりやや年長ながら、24年組の一人とみなされている。それは東京に上京してから、24年組の中心作家だった竹宮惠子や萩尾望都らと交流していたこともあるだろう。「アラベスク」連載当時には竹宮、萩尾らに誘われてヨーロッパ旅行に行ったこともあり、「アラベスク」の扉絵の背景を萩尾望都がみずから希望して描いたというエピソードも伝えられている。

「山岸凉子展『光 ─てらす─』─メタモルフォーゼの世界─」はそんな山岸凉子をフィーチャーした初の本格的な展覧会である。会場となった弥生美術館一階の展示室に入ると、まず”ベストセレクション”として「日出処の天子」、「常世長鳴鳥」、「黄泉比良坂」、「ハーピー」、「アラベスク」、「妖精王」、「テレプシコーラ」、「天人唐草」のカラー原画がずらりと並んでいる。女性日本画家の上村松園(1875-1949年)に憧れて日本画を専攻し、学んだ山岸だけに、水彩画ながらもしっかりとした色使いと、衣装や装飾品を細部まで描きこんでいることに驚かされる。これらのカラー原画は単なる扉絵を超えて、そのまま作品として鑑賞できる幽玄さを備えているともいえよう。

 続いてのコーナーは”代表作「日出処の天子」誕生”と題して、同作のカラー扉絵、カレンダー原画、LPジャケット原画などのカラー原画を展示し、次にモノクローム原画、さらに掲載誌の読者プレゼントグッズや色紙なども展示している。ガラスケースに並べられた原画はやや離れて見ることになるのだが、一部のカットはパネルに拡大されて飾られており、その細部が見えるとより迫力が増してくる。熱心なファンの中には鑑賞用の双眼鏡を持参して、原画の細部を確認する姿も会場で見受けられた。

 ”大ヒット作「アラベスク」を描く”と題した次のコーナーでは初期のヒット作が展示され、その誕生のエピソードが以下のように解説されていた。

 少女時代にバレエを習っていたという山岸は「バレエマンガを描きたい」と担当編集者に企画を持ちかけるが、1971年当時はバレエマンガのブームが過ぎた後であったことから失笑され、掲載を渋られたという。それに対して山岸は当時流行のスポ根(スポーツ根性)もののように、芸術の高みを目指して激しく生きる人間像を描こうと考えていると説得して、三回のみ作品連載にこぎ着ける。ところが第1回掲載後にいきなり人気投票で1位となり、編集部も急遽方針を転換して、1973年の連載終了まで描きたいだけ描けることになったそうだ。そして1974年には創刊されたばかりの『花とゆめ』から続編の依頼があり、続編を描かない主義であった山岸も「アラベスク」なら描けると気付いて、第2部の連載が実現している。

 原画を見て感じたのは、作者本人がバレエを習っていただけに、作画されたキャラクターのポーズには資料を見て描いただけのものとは違う、細やかな実感とでもいうようなものまで表現されていたということだろうか。またこのコーナーでも「日出処の天子」と同じく、カラー原稿が展示されていたが、当時の雑誌では原色でしか印刷できないと言われていたものが、赤とバラ色の淡い色調で描いた原稿に対して印刷技術もそれに対応できるようになり、原稿のとおりの色で再現されるようになったという。

 そして”短編名作選1976-1979″と題した次のコーナーでは、「落窪物語」、「天人唐草」、「スフィンクス」、「ひいなの埋葬」、「美しい娘プシュケー」、「メタモルフォシス伝」、「妖精王」といった珠玉作の数々の原画を陳列。日本の古典文学を題材とした作品や、古典を元に現代を舞台にして女性の深層を掘り下げた作品、またギリシャ神話やケルト神話を大胆に取り入れて北海道を舞台に描いた長編ファンタジー等々、山岸凉子の取りあげる題材の多彩さが一望できる展示となっている。この多彩さは続く”女性を描くⅠ”のコーナーでも、歴史、神話、伝説の中などに登場する女性を描いた作品の数々から見て取ることができる。

 1階での展示を見終えて2階へ上がると、そこにはまず「日出処の天子」のポップスタンドがあり、入場者が主人公の聖徳太子と並んで撮影することができるようになっている。

 そして2階の会場の最初のコーナー”漫画家デビューと初期作品”では、デビュー作「レフト アンド ライト」の原画展示に解説が加えられ、この作品のキャラクターは当時の少女マンガの人気の絵柄に合わせて丸顔に描いたものの、「雨とコスモス」という作品から元々の自分の絵柄の角張った顔にしたことで読者から大反発を受け、「アラベスク」ではその中間の絵柄にしたのだという。そこから推測すればこの展覧会の副題の”メタモルフォーゼの世界”とは、作者自身の絵柄の変化も指しているのではないかと展示を通して感じられた。

 2階の展示は次に”短編口絵名作選1973-1977″のコーナーに続き、「私の人魚姫」、「ティンカー・ベル」、「ギリシャ神話の妖精たち」シリーズ、「華麗な世界」、「クリスマス」、「ラプンツェル・ラプンツェル」と、こちらも珠玉作の数々が一部のカットの拡大パネルと共に並んでいる。

 次なる”「ASUKA」での仕事”では、1985年創刊の月刊誌『ASUKA』の表紙絵や、掲載された「月読」の原画などを見ることができる。少女誌に止まらない雑誌だけに、対象となる読者の年齢も上がってきたのか、少しエロティックなタッチやシーンも散見することができた。

 続いてはモノクロ原稿のみを展示した”モノクロームの美しさ”のコーナーとなるが、解説によれば山岸は、ヨーロッパの世紀末芸術を代表するイギリスのイラストレーター、オーブリー・ビアズリー(1872-1898年)の作品に強烈な印象を受け、代表作となるモノクロ画集の「サロメ」を購入したこともあったという。ほかにもアール・ヌーボーを代表する画家、アルフォンス・ミュシャ(1860-1938年)やガラス工芸家のエミール・ガレ(1846-1904年)からも影響を受けたとのことで、さらに「神隠し」のカバー絵の馬に乗る武者の姿には、会場である弥生美術館で何度も特集展示が行われている挿絵画家・伊藤彦造(1904-2004年)の影響さえ見え隠れしている。「アラベスク」連載の頃には「原稿料は全て資料に注ぎ込む」という決意で資料を集め、常にそこから学んでいたという、その成果の現れともいえるだろう。

 また山岸は「アラベスク」の頃の調子の良い時には、知らない熟語を初めて聞いたら、その言葉からストーリーを作るくらいは簡単にできたという。さらに「アラベスク」や「日出処の天子」、「テレプシコーラ」は最初にストーリーが頭に浮かんだ時に、不思議な感覚で「これは絶対うける!」とわかったといい、「その感覚を感じた時は、誰に反対されても強引に描かなければ」と思うのだとも。ところがその「熱量みたいなものが(自分の中に)落ちてくる」と感じて、絶対に描けるという自信に満ちて描いたにも関わらず、後になって「それは”描かされていた”と思い知らされてしまった」作品もあるそうで、ツタンカーメン王の墓を発掘するカーター卿を主人公とした「封印」(後に「ツタンカーメン」と改題)を1990年代に連載した時には、絶不調となった中で苦しみながら作品を発表していったそうである。

 そしてその苦しみを通過して、”救い”をテーマとした2000年の「白眼子」で再評価されるに至り、1994年に自身のダイエットのために再開したバレエから再び「このテーマで絶対描ける」という気持ちが見えてきて、2000年に長編バレエマンガ「テレプシコーラ -舞姫-」を『ダ・ヴィンチ』に連載。手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞するまでに復活したとのことであった。

 最新作として現在連載中の「レベレーション 啓示」は主人公のジャンヌ・ダルクが断頭台へ向かう場面から始まり、彼女が神から受けた啓示を振り返る物語となっているが、これもまた山岸が”不思議な感覚”を感じて描き始めた作品ということになるのだろうか。山岸凉子という作家を知れば知るほど、興味が湧いてくる。

 さて”モノクロームの美しさ”に続く最後の展示は、作者自身がユーモラスな自画像キャラクターとなって登場するエッセイマンガである。展示されている「着物教室」は、若い読者に気軽に着物を着てほしいとの願いがマンガでわかやすく描かれていて、こういったエッセイマンガでも山岸はその先駆者の一人となっていることを最後に伝えておきたい。

 なお本展では図録の替わりに、弥生美術館の担当学芸員が編集した画集『山岸凉子画集 光―てらす― 』(河出書房新社)が販売され、展示作品の選定や解説もこの画集をベースとしている。山岸凉子本人の監修の元、カラー原画の色の再現にこだわった初の本格的画集であるだけに、本展を見逃したファンにとっても必見の一冊といえるだろう。