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1950年代の児童向けマンガ月刊誌の黄金時代のさなか、集英社から少女向け月刊誌「りぼん」が創刊(1955年)された。前年には講談社から同様の月刊誌「なかよし」が創刊され、共に大手出版社が手掛けた「りぼん」と「なかよし」は以後現在に至るまで、ライバル誌として少女読者たちの夢を掻き立てていくことになるのである。京都国際マンガミュージアムで2016年12月8日から開催中(2017年2月5日まで)の「LOVE♥りぼん♥FUROKU 250万乙女集合!りぼんのふろく展」はその一方の「りぼん」を取り上げ、本誌の付加価値となって進化を重ねてきた付録に焦点を当てた企画展であり、読者となった少女たちの”憧れの対象の変遷”までもそこに見ることができる。

 「りぼん」本誌は、後に「週刊マーガレット」の創刊と入れ替わりに休刊する月刊誌「少女ブック」の姉妹誌として創刊され、最初は小中学生の少女向け総合月刊誌だったものが、創刊から数年を経てマンガ中心の雑誌へと変化した。マンガの内容も初期の”母子もの”からラブストーリーへと移っていき、少女たちの憧れの対象も”守られる少女像”から”自立した女性像”へと変化していく中で、1960年代末から1970年代にかけては政治闘争の時代を背景に、女性としての生き方を問いかける作品も登場している。またこの時期から、女性に限らず男性読者も(少ないとはいえ)比率を増し、1980年代に少女趣味を全面に押し出した”乙女チック”ラブコメディーのブームを巻き起こしたのもりぼんであった。”恋に恋する少女”の復権は、憧れの対象として”カワイイ”読者自身を映す鏡となったが、時代と共に多様化する女性像の中で、それは少女の一つの在り方として相対化され、やがて少女マンガというジャンルの衰退につながっていくことになる。

 一方で少女向け・少年向けを問わず、明治時代後期から児童雑誌に付けられるようになった “付録”は、少女向けでは戦後創刊の「なかよし」と「りぼん」を中心に、(おもに)紙製のファンシー・グッズとして独自の進化を遂げていくことになるのである。

 この「りぼんのふろく展」では、りぼんに寄り添って変化していった付録の流れが時代順に紹介され、展示内容としては三部屋に渡る会場を、壁面展示とガラスのショーケースとで埋め尽くした「りぼんのふろく」の物量に圧倒されるものとなっている。それだけ膨大な数が作られた「りぼんのふろく」の戦後60年を目の当たりにできると共に、膨大なコレクションの収集に奔走したマンガミュージアム学芸員の思い入れも感じ取れる企画展といえるだろう。

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 会場全体は「戦後〜60年代─ふろく前史と『りぼん』黎明期」、「70年代─乙女ちっくまんがとふろく」、「80年代─ナンバーワン少女マンガ誌へ」、「90年代─史上最高部数255万部を達成!」の4パートに大きく分けられ、いずれも添えられた解説以上に、ずらりと並べられた付録そのものを見せていく構成となっている。そのため訪れた幅広い年齢層の女性たちから「懐かしい!」「カワイイ!」「これ昔持ってた!」といった声が次々と発せられ、なにやら会場すべてが女子会のような雰囲気になっているのが微笑ましい。会場入口横にはりぼんの付録であふれた小学生女子の部屋の一角(机と椅子)が再現され、そこからすでに来場者が少女時代にタイムトリップできる趣向となっている。

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 最初の「戦後〜60年代─ふろく前史と『りぼん』黎明期」パートには、りぼん前史となる戦前・戦後の少女向け雑誌と付録の資料がコンパクトに展示され、この企画展が”少女雑誌と少女”という文化史的な括りの中で捉えられたものであることが明らかにされている。大正時代の人気挿絵画家が手掛けた双六や、1960年代にりぼんの人気を高めた付録の「カラーシリーズ」(読み切り漫画シリーズ)など、マンガ史的にも貴重な資料が並んでいるが、このパートに続く1960年代以降の付録の展示コーナーに入ると、学術的な印象が一変。色とりどりの付録が隅々にまで飾られた部屋へと視界が開け、それらがま明るい照明によって照らし出される様は、女性なら「お花畑」と形容するかもしれないほどきらびやかなものであった。さながら一種のインスタレーションのようでもあり、会場のレイアウトも含めて、そのように弾んだ気分まで味わってもらうこともまた企画の狙いなのだろう。

 ここから「70年代─乙女ちっくまんがとふろく」のパートへと入り、一条ゆかり、山岸凉子といった人気作家が1970年代初頭に登場すると、彼女たちが描くリアルかつディティールにまで趣向を凝らしたファッション・イラスレーションが付録にも波及。当時の印刷技術の進歩もあって、便箋、レターセット、しおりといった小物付録が、より色鮮やかなものへと変貌していく様が見て取れる。

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 その後、陸奥A子、太刀掛秀子、田渕由美子らが作り出した”乙女チック”ラブコメディーの時代に入ると、彼女たちの愛らしい描きおろしイラストで飾られた付録は、紙製ファンシー・グッズとしてりぼんの読者以外にまで広く浸透していくことになる。”乙女チック”ラブコメディーは少女趣味を肯定的に捉え直したマンガとして一世を風靡し、少女マンガのビジュアルとしてもそれまでにない革新的なものであったが、そこから生まれた付録は優れたデザイナーの手を経ることによって、雑誌のオマケに留まらないファッション・アイテムにまで進化したということもできるだろう。種類も組み立て式の小箱や鉛筆立てのようなものが増えて種類が広がり、よりバラエティに富んだアイテムの数々に編集者の創意工夫をうかがうことができる。

 この流れは「80年代─ナンバーワン少女マンガ誌へ」のパートにも継承され、小田空、小椋冬美といった作家がりぼんの立役者となる一方で、1980年代に大ブームを巻き起こした「Dr.スランプ」(鳥山明)のキャラクターも、(同じ集英社の)雑誌を跨いでりぼんの付録に使われている。さらに池野恋の「ときめきトゥナイト」が人気を博し、そのキャラクターを使った付録も好評だったことから、それまでのマンガ家によるオリジナル・イラストではなく、人気キャラクターのイラストが付録を飾るようになったのもこの時代の特徴といえるだろう。

 それら人気作品と付録の相乗効果によって、りぼんの部数は1980年代に少女マンガ誌のトップへと躍り出ることになる。

 最後となる「90年代─史上最高部数255万部を達成!」のパートには、そのようなりぼんの躍進の到達点となった1994年の2月号、即ち少女マンガ誌の最高発行部数・255万部を記録した号も展示されている。しかし矢沢あい、柊あおい、さくらももこといった新たな人気作家に支えられながらも、頂点を極めたりぼんは以後、少女マンガというジャンルそのものの低迷と歩調を合わせて長期凋落傾向をたどり、2000年代を経て現在に至ることになるのである。

 付録のほうではこの時期、紙製の付録に加えてビニール製のポーチなど紙以外の素材を使った完成品グッズの比率が増え、これ以降、2001年から雑誌付録の材質が規制緩和されたことによって、一般向け女性誌がトートバッグなどの豪華付録に付けるようになったことを考えると興味深い。

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 また「90年代─史上最高部数255万部を達成!」の部屋には「ふろくの原画」と題された両面パネルが置かれ、「姫ちゃんのリボン」の水沢めぐみら7人の人気作家が付録用に描きおろしたカラーイラストが飾られていた。どのイラストにも可愛く等身を縮めた人気キャラクターが多く描かれ、「ふろくやグッズでは、連載マンガのキャラクターを子どものような三頭身のキャラにデフォルメされることが多く、当時のマンガ家や編集者はそれを『ガキ絵』と呼んでいました」と解説されている。続いて「この『ガキ絵』をうまく描けるかどうかが『りぼん』のマンガ家にとって重要でした」との一文があり、このようにしてデフォルメ・キャラクターが描き手・受け手共に広く浸透していった結果が、21世紀に向けて日本から世界に発信される「カワイイ」という言葉の概念につながっていったと推測することも可能だろう。

 この「カワイイ」を一つのキーワードとして、少女読者の持ち物となることを想定して開発・設計・デザインされていった「りぼんのふろく」の数々が、戦後から今に至るまで日本の少女の美意識形成の一端を担っていたことは間違いない。この企画展ではその美意識の検証と評価までは射程に入れていなかったものの、「りぼんのふろく」の全貌に近い数を実物で見せることによって、訪れた女性たちがつかのま、それぞれの少女時代を再体験できるという得難いものとなっていた。それだけでもうこの「りぼんのふろく展」は、大成功ではないかと思うのである。