●マンガの2016年とはなんだったのか?

 電子配信と電子書籍によるデジタルコミックのマーケットが拡大する一方で、紙媒体のマンガ雑誌とマンガ単行本がシェアを減らし続ける状況は2016年を経ても変わらず、潮流がゆるやかに変わるなかで、40年に渡る『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治)の連載終了が大きく取り上げられることになったこの一年。部数減少が止まらないマンガ雑誌においては、ついに週刊少年ジャンプの200万部割れ、週刊少年マガジンの100万部割れまでもが囁かれるようになったが、それも自社コミックを電子配信する『少年ジャンプ+』(集英社)や『マガジンpocket』(講談社)の健闘と併せて見れば、読者数が減っているとは言い難いところがある。つまり紙媒体から電子媒体に読者が乗り換え、これにネットサービス会社による『LINEマンガ』(LINE)『comico』(NHNcomico)『マンガボックス』(DeNA)のような配信サービスの盛況を重ね合わせるなら、むしろトータルのマンガ読者数は増え続けているといってもいいからだ。

 とりわけ出版社による配信サービスに先行して事業を展開したLINEやNHNcomico、DeNAは、それぞれの配信用アプリのダウンロード数が2016年までに1000万を突破し、そこから『ReLIFE』(宵待草)のような人気作品を紙媒体の単行本化してヒットさせるなど、デジタルコミックならではのビジネスモデルの構築を進めている。そこにはネットのインタラクティブな活用によって未発表のマンガ作品を集め、ネット掲載によって人気の出た作品を国内ばかりか海外にまでネット配信するという、さながらネット出版社としての展開が想定されているといっていいだろう。前回のコラム「マンガの2015年とはなんだったのか?」のなかではデジタルコミックについて「それが新しい読書スタイルとして浸透する一方で、収益からいえば出版社の屋台骨を支えるにはまだまだという状況だ」と書いたものの、それによって屋台骨を支えつつあるネットサービス会社の快進撃が、今後(一部共闘しながらも)既存の出版社の脅威となることは間違いない。

 2016年がそんな傾向が顕著となった年であるとするなら、ではそのことによって、マンガそのものの在り方はどう変わっていくのだろうか?

●デジタルコミックにおける編集者の不在

 すでに雑誌掲載や単行本化されたマンガ作品をネット配信するだけでなく、自社サイトでしか読めないオリジナル作品の確保が、『LINEマンガ』や『comico』、『マンガボックス』などにおいては現在、大きな戦略の柱の一つとなっている。それは作者が持つ以外の作品の権利を丸抱えするためのいわば出版社経営の基本だが、投稿された新人作品のなかから”商品”となりうる作品を選別し、才能を認めた作者を作家に育成する作業においては、やはりそのようなノウハウを蓄積した”編集者”を抱える既存の出版社のほうが大きく勝っているだろう。むしろネットサービス会社の強みはそのような選別をあまり行わず、できる限り多くの新人作品をネット上にあげて、読者自身に面白い作品を選ばせることにある。読者にとってもそれらが無料で提供されるからこそ大量の閲覧が可能になるわけだが、一方で「撒き餌が多すぎて、収穫量を上回る危険がある」こともネット配信のリスクとして広く知られている。つまり一本のヒット作を見出すために、無料の作品一万本を提供するのでは割が合わないということである。

 この段階において、ネットを介して投稿してくる新人がいくらでもいる(=出版社に直に原稿を持ち込むよりもハードルが低い)以上、そのようなリスクを回避するために、あらかじめ選別のできるプロの”編集者”が、改めてネットサービス会社に必要とされることが考えられよう。すでに既存の出版社で名を上げたプロの編集者が何人もネットサービス会社と関わっているが、デジタルコミックにおいて「縦スクロール」のように紙媒体のマンガとは異なる形式で表現される作品も広まりつつある以上、そういう新たなニーズにも応えられるハイブリッドな編集者の確保、あるいは育成が、デジタルコミック配信サービスの今後を左右するかもしれないということである。

 そしてここには、マンガ家の使い捨ての問題も絡んでくる。往年のヒット作『巨人の星』は講談社編集部と原作者の梶原一騎が手を組み、巨人軍の投手となる主人公の成長を描いて読者を獲得するため、連載一回ごとの人気に左右されずに長期連載を確約して大ヒットへとつなげてみせた。これによって作画担当の川崎のぼるも大人気作家へと成長し、いわば長期のスパンでヒット作品を作り上げたのである。しかしヒット作創出のためのこのようなビジネスモデルは現在の出版社では衰退し、週刊少年ジャンプに代表されるような”読者の人気投票を元に、連載10週目で新人作品の連載継続の是非を判断する”傾向”ばかりが目につくようになってしまった。つまり短期のスパンで作家の才能を決定してしまい、そこから先に才能を伸ばしていこうとする”育成”作業の放棄である。このことによって才能を秘めたまま使い捨てられる新人が続出し、さらには尻上がりに面白さを増していくような作品が、連載初期の不人気を理由に打ち切られる事例も数多くあったろうと考えて間違いない。そしてネットを介した新人発掘のシステムがそのような作家の”育成”をあらかじめ切り捨てていることから、作家使い捨ての傾向がネットではさらに助長されるのではないかと考えると、やはりデジタルコミックにおける作家のサポーターとしての編集者の必要性は、今後さらに課題となるのではないだろうか。

●マンガの読者が読むのはモノか? 情報か?

 次に読者の側に焦点を当ててみると、先に「トータルのマンガ読者数は増え続けているといってもいい」と書いたこととは裏腹に、その増えた読者によるマンガの読み方が、変化しているのではないかという疑問が出てくる。まず「マンガを読みたい」と思う読者がいて、それが今まで雑誌や単行本で読んでいたものが、閲覧無料というメリットに惹かれてネットで読むことに移行する。あるいは『LINEマンガ』や『comico』などを通して、アトランダムに選んだ作品を読み始めて常連の読者となる。それらは(『縦スクロール』など独自の形式で描かれた作品があることを除けば)ごく普通のマンガとの接し方のように思えるが、紙媒体に替わってネットが介在することで、一義的に”マンガ”であることを意識して読むというよりも、ネット情報の一端として作品に接しているのではないか。つまりディスプレイ上にフラットに表示される情報としてマンガに接し、その限りにおいてネット上のメールやツイッター、ニュース、掲示板といったほかの情報と均質なものとしてマンガを読み、その分作品への没入が浅くなっているのではないかと考えざるをえないのだ。

 それは紙媒体のマンガが、自分の読んでいる単行本が複製された作品ではあっても、物質としてはオンリーワンであるそれと向かい合っているのに対して、ディスプレイに表れる画像は見ているその時のみに表示される情報にすぎない。つまり単純化して言ってしまうと、情報として消費される度合いが、紙媒体のマンガよりデジタルコミックのほうが大きいのではないかということである。まずネットがあって、マンガはその下位属性に過ぎないのではないか。そのようにして、紙媒体のマンガとデジタルコミックでは読まれ方が決定的に変質していて、そのことと読者数の増加(=アクセス数の増加)を考え合わせると、かつて紙媒体を通して真摯に読まれていたマンガは、もはや作品に含まれる情報の価値でしか判断されていないのかもしれない。

 しかし先の『ReLIFE』のほか『ヲタクに恋は難しい』(ふじた)のように、ネットからの単行本化で10万部単位の売上げを記録している作品もあることから、一概に紙媒体とネットでの読まれ方の違いをそのように決めつけてしまうのは早計でもあるだろう。それでも紙媒体のマンガからデジタルコミックへの比重の移動を単に流通形態の変化とのみとらえてしまえば、その下で起きているもっと重大な変化を見逃すことになるかもしれない。2016年がそういう流れを決定づける年であったとするなら、マンガの作家、読者、そして関係者のすべてが、より自覚的にこの変化に向かい合うことでしかマンガの未来は見えてこないのではないだろうか。