『ゲゲゲの鬼太郎』を始めとして多くの人気作品を世に送った水木しげるは、2015年の末、マンガ家としては珍しい93歳の長寿を全うして鬼籍に入った。その業績は今後長きに渡ってマンガ研究者たちの対象となることは間違いないが、回顧展としても初の大展覧会「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」が、東京・銀座の松屋銀座(3月8日〜3月20日)を皮切りに大阪・梅田の大丸(4月5日〜4月19日)、京都・大丸(4月26日〜5月8日)、神戸・大丸(7月26日〜8月14日)、そして福岡県立美術館(10月27日〜12月10日)で順に開催される。これまで水木しげるの描く妖怪にスポットを当てた「妖怪展」などは数多く開催されたものの、回顧展という形で、ようやく水木しげる自身をリスペクトした本格的な展覧会となることを期待せずにはいられない。

 予告された「見どころ」によれば、水木しげるにまつわるマンガを含めた様々な作品や資料を集めて全6章で構成し、その中には初公開の品も多いとのこと。また水木の書斎の再現展示や、「ゲゲゲの女房」こと武良布枝夫人へのインタビュー映像、さらに水木の残した名言の数々や追悼メッセージが展示されるとのことで、企画展としてはオーソドックスな形ながら、水木しげるという作家の人物像を戦後史を通してどれほど掘り下げてくれるかが、本当の意味での見どころということになるだろう。

 それは太平洋戦争中に徴兵され、生き地獄とされたニューギニアの戦場で左腕を失い、さらに戦後の混乱期を極貧の中で生き抜いた水木が、作家だけでなく”負の昭和史”の体現者というもう一つの人物像を併せ持っているためである。水木はみずからが体験したそのような現代史を『ゲゲゲの鬼太郎』ならぬ『墓場の鬼太郎』や、『総員玉砕せよ!』といった諸作品に間接的、あるいは直接的に反映させ、また初期の作品群が人間不信の視線で貫かれているように、さながら作品を持って自身の悪魔祓いとするかのごとくであった。さらに言えば水木の生み出した”妖怪”の数々は、虚妄に満ちた現代を風刺し、あざ笑う、”隠蔽された過去”の隠喩ではなかったか。同様に『奇子』などの作品で、昭和という時代に対して無自覚でなかったことを証明してみせた故・手塚治虫が常にそこから未来を志向してみせたのに対して、ほぼ同じ時代を生きた水木は、失われた遠い過去にその希望を託し続けたのである。だからこそ、その世界観は原稿すべてを黒一色で埋め尽くさんとする点描の書き込みとなって表れ、登場人物もまた虚無的な描線で脱力したかのごとく描かれ、その世界に収まっている。それはまさしくマンガという形で描かれた死者の楽園であり、彼が体験した戦後史を相対化するために生み出した表現であったろう。

 しかしヒット作家となって以降の作品からはそのような傾向が次第に薄められていくと共に、水木自身も虚無的どころか正反対の”陽気な好々爺”として晩年のイメージを世に広めていく。その多面的な人物像こそ水木しげるであるとするなら、”負の昭和史”の体現者である水木も彼の一つの側面にほかならないが、いずれにせよもっぱら妖怪とセットで取り上げられてきた水木しげるがどれだけ一作家、一個人、そして一人の人間として愛読者の前に現れるか。没後一年を経ての「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」が水木しげる研究の新たな扉を開けることを願って、指折り数えつつその開催を待つことにしよう。